FC2ブログ

子育てつがく
赤ちゃんを子育て中に直面する悩みやイライラを考え悩み、調べてはまた考えた、悩めるママの考察記録です。

永野むつみさんの講演会を終えて

おおかみこどもの雨と雪を観たときのように始まりから感動していた。
今の私にタイムリーな、今出会うべき時に出会ったのだと、これは今聴くべき話なのだと感じていた。

「自分の育ちを負い目に感じることはない、あなたのせいじゃないんだから。」
これは私がもらうべき言葉だった。子育て=自分の育ちを突きつけられることだった。
「息子は4番目だった、一番が仕事、2番は自分、3番夫。」
これは私が言えなかった言葉。ママなんだから良いママ、最高のママになりたいという気持ちが強かった、子どもが一番じゃないとと自分に言い聞かせてたし、そうありたかった。
むつみさんの言葉は経験からの言葉。だからなのか心に届く。
「自然と自由な時間」
これを森のようちえんまめでっぽうで子どもたちに経験させてあげられて本当に良かった。それでいいよと言ってもらえた。

次女がママ、ママ、あれしてくれ、これしてくれ!そうじゃない!と何でもやってもらいたがる。私は自分のことは自分でやってくれと疲れている。でも今は気持ちよくやってあげればいいんだ。余裕がないときは「できない」って素直につたえればいい。そうだ私は疲れている。素直に伝えればいいし、休めばいい。私は毎日どこか焦っている。いろいろ済ませて9時までに家を出て、2時にはお迎えに、6時前に夕飯を、8時には寝室に!家にいるとあれもこれもやること増えるばかりだけど「まあいいや、卵かけごはんで」ってゆっくり相手をする日が必要かもしれない。
効率良く、いかないのが子育てだ。



スポンサーサイト



少子化アンケートの回答

親になって感じるのですが母親のモデルケースを実母しか知らないのです。現代の親世代は核家族で育ち他の家庭をほとんど知らない、知っていても友人や親せきの家庭を少し垣間見る程度、赤ちゃんと接したこともほとんどなく、おむつを替えた事も無い、全くの経験不足で親になるのです。これじゃまず「親になりたい」と思いません。自分の生育家庭が円満なものでない場合結婚したいとも思いません。第一子出産でノイローゼになってもおかしくない。
子どものころから赤ちゃんや幼児がいる、お年寄りやハンディのある方がいる、お母さんたちがいる、そんな多彩な環境をつくるべきではないでしょうか。そして育児の方法を老若男女みんなが知っている、おおらかに子どもたちを見守る場が必要です。小学校内にケアハウスと保育園を入れてしかも縦割り保育にするとか。そのくらいのことを行政はやってほしいものです

東城先生の講演会をうけて

宇宙の通り、自然の摂理、そういった目に見えない力を
般若心経では空(くう)
老子では道(タオ)
日本ではお天道様(←東城先生いわく)と呼んでいる。
神様と呼ぶ人も多いだろう。
私たちはその大きなエネルギーの流れの中、ほんの少しの間存在しているだけにすぎない。
生き物とはみなエネルギー変換機、エネルギーを摂取し、それを別のエネルギーとして発散したり貯蔵するものだ。
私たちは「生きていたもの」しか食べることができない。
私たちは「生きていたもの」からそのエネルギーをもらい、活動している。
私たちが何を食べるかはとても重要で
私たちの毎日が人生を作り
私たちの人生が歴史を作っていく。
そしてその歴史ですらも宇宙の、自然の摂理からみれば些細なことではあるが、
よりよく、幸福な歴史を作ることは私たちの最大の課題、最重要事項だ。

森のようちえんに関する考察

 わが子の将来について考えたとき、「自ら考え行動し問題を解決できる能動的な人」もしくは「指示されたことはこなすが自分から進んでやりたいことのない受動的な人」どちらが良いか選べるとしたら「能動的な人」を選ぶ親が多いのではないか。
 しかし現在の保育園、幼稚園等の中では「能動的な人」になる芽が摘まれている。友達と仲良くできる、先生の言うとおりにできる、輪を乱さないことが良しとされ、未満児のころからそれを要求されている。皆で行う手遊びなどに参加しないとたしなめられ、行動範囲はいつも制限されている。外遊びはもはやイベントで外でも範囲・内容・時間すべて制限されます。
 自主性を謳う幼児教育に力を入れた園でも、時間割が組まれている以上結局やらされているにすぎない。(しかも乳幼児のころから勉強等を頑張る必要はあるのか?7歳になれば1回で理解できることを3歳では多くの時間を費やさねばならず本来3歳で経験すべきことを奪ってまでやる必要ない)
 
 こうして「受動的な人」が出来上がる。現代の若者は無気力で自分のやりたいことが分からない・・なんて頻繁に聞くが、それは乳幼児からやる気の芽を摘まれてきたから。環境・教育の賜物でしょう。
 保育というのは子どもたちをまとめて管理するものではなく、見守る、寄り添いあうことであってほしい、このように考え私は今年度、年中児と2歳児の娘たちと森のようちえん「共同保育まめでっぽう」に参加しています。

 1830年代世界初の幼稚園を創設したフレーベル、その理想とする幼児教育は子どもに命令や干渉するのではなく、子どもの遊びを養い育てよ、保護せよ。子どもが自主的に選んだ遊戯の中に将来の内面的な生活がある、というものです。果たして現在の幼稚園はこの理想通りでしょうか。またフレーベルは自然観察に力を入れて自然の摂理を自覚し世界と自分を調和させることが教育であるとしました。
 森のようちえんは1950年代デンマークで有志の母親たちが始めたとされています。現在、ヨーロッパ特にドイツで盛んに取り組まれています。日本においても長野県には多くの森のようちえんグループが存在しますが山ひとつ隔てた富山県には非常に少ないです。平日毎日活動している富山の森のようちえんはここだけです。よって市外から参加されている親子も多いです。
 「富む・山」と書いて富山ですが、ほとんど屋内で過ごし、雪の中を駆け回ったこともなく虫に触ったこともなく育ったら大人になったとき「富山ちゃ何もない」と言うでしょう。しかし毎日を森で過ごし、この土地の季節を体感して、大雪に歓声を上げ遊びまわり、畑で存分に泥遊びし、母親たちの育てたこの土地の作物を食べ育った子どもたちはきっと20年後、30年後「子育てするなら富山だ」と言ってくれるに違いありません。そして森のようちえんで育った子どもたちは自分で考える力、行動力、多様性があり必ず富山を支えてくれる人材となるでしょう。少子高齢化の進む今、市が、県が、子どもたちをどう育むかが最大の課題であると言えます。有志の母親たちに任せておいてはいけません。新幹線が開通してもこの土地に活力ある若者がいなかったら過疎・衰退は明白でしょう。
 
 幼稚園・保育園で「早期教育や協調性」を伸ばしたいのか、森のようちえんで「原体験、自主性や個々の育ち」を重視したいのか、すべての親が選択できるよう周知と支援をよろしくお願い致します。

大学についての考察

日本とインドと韓国の一流大学・大学生が大学の現状について語るというテレビを観た。
諸国の学生は目標が明確で勉強熱心であるのに対して日本は東大生であっても目標がなく勉強よりもサークルやバイトに時間をさいているとのことだった。

インド・韓国ともに国力が上がっている、日本は・・この現状であるのは当然の結果なんだな。

日本の青年が「夢や目標が無い」というのはなぜか?
諸国の青年が「目標があり、勉強熱心」なのはなぜか?

これはもう幼少期からの環境(周囲の人間の関わり・学校や受験のシステム)の違いだ。
小さいころから指示されることが多く、集団からはみ出ないことを強いられている=自ら考える力が育たない、にも関わらず「個人の自由」というものはもっとも大事であるという資本主義
万歳な国、だから国のために、育ててくれた親や地域のために勉強しようなんて考えは持たない、(まず戦後教育の中で愛国心はタブー)これが日本。
欧米諸国も「個人の自由」を謳っているが教育が個人・個性・自ら考え解決する力を育てるものなので「夢や目標が無い」なんて問題が起こらない。
インド・韓国では国や親のためにも成功しようという考えが強いようだった。

インドや韓国が最善だとも思わないが日本には改善すべき部分が多いと感じた。


まず子どもたちに考える力、解決力等を伸ばす教育・環境を。
子どものころから様々な職業を知る機会を与えていきたい。